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2004年に行ったイベントについて

2004年はまだネット黎明期の時期で動画サイトと言う
物が無かった時代です。
また、現在もそういう傾向が根強いですが、
日本の社会は何でも分業制で何でも分けたがると言うか、
音楽なら音楽、美術アートならアートみたいに
異業種、畑違いみたいな思考が根強いと思います。

僕は元々垣根が無くて、やりたくなれば何でも
実行しようと考えます。
映画と言うものを作る時、
原作、脚本、カメラ撮影、音楽、美術、俳優役者など
それぞれ分業制で一つの物を作る姿勢が常識と言うか
スタンダードになっていると思います。
映画はマルチメディアという宿命的サガを担っている事が
分業で行う事が当然の様に思われている事に幼い頃から
違和感があったのです。
漫画家は全部一人で描いていると思っていましたし
実際その様な漫画家の方は多いと思います。

映画も同じだと思います。


このイベントは画家、俳優、声優歌手、音楽制作会社と
それぞれ個人事業を行っている僕の友人知人との
コラボレーション共同作業によるイベントでした。

この2004年に行ったイベントはまだまだ
音楽とか美術とかジャンル分けして垣根が根強く、
今みたいにYouTubeで一人で配信し続ける環境が
何もなく、一人で映像を作って一人で発信すると言う事は
一般的に全く定着していない発想だったのです。

それでもコラボレーション(自分以外の他者)の面白さは
知っているつもりなのでArt EXPOの様なイベントを
行ったのです。

会議の中ではイベント内容について反対の意見が
出たりしたのですが、
その代りに各自のポジションと責任が前提で
このイベントに参加した人は多かったのですが
出演したアーティストは殆ど僕の知らない僕とは
無関係な人達で音楽制作の会社のスタッフが呼んできた
アーティストだったりした訳ですが、
呼んできたアーティストヘのギャラ等も各自
呼んだ人の責任と言う各自の責任んで行ったのでした。

アーティスト(個人事業主)が集まって共同作業を行って
実現したイベントでしたがお金をかけてでも業者に依頼して
派手な舞台を用意したいと思う会社と、
僕の様に地味でも良いから自分達でお金をかけずに
手作りで設営したいと考える意見と指向が2分化したのですが、
イベントは両方の側面(利益と主題)を擦り合わせて
調整を行わなければならないと強く思いました。


このイベントのテーマは今では当たり前の様に
社会に定着している音楽と美術の共演なのですが
敢えて「融合」なんて言葉を使わなければならない程、
音楽と美術は分離した思考の認識だったのです。
(一般社会では)

そして舞台設営の部外委託業者に乗っ取られる様な
状況を作ってしまった運営にも問題があり、
やはり利益をちゃんと考えないと継続できないものです。
何にでも言えると思うのですが。

利益と生産継続は表裏一体なのですが
どうも一般的にお金の事を考える事は守銭奴的に
卑しい様に思われる方もいるかもしれませんが
現実的にはお金の事をちゃんと考えないと
継続は不可能です。(笑)


お金の事を卑しいとか考える人は
無責任に人任せに他力本願でやって来れた人
ではないでしょうか?
共産主義的な泥棒の発想でお金の出所が税金からと言う人には
分からないと思いますが、やはり資本となるお金は
とても大事です。

この時期に動画サイトを準備していたのですが
「さぁ~動画サイトできあがるぞッ!!」と
動画の準備が終える頃に
YouTubeが出現したのです。(2005年か2006年だったかな)
とても迷惑な出来事でした。(笑)

 

先週に続いて再び窃盗被害(港区新橋窃盗被害)

2024年3月22日(金)
港区新橋の某中華料理店内で
革製の手袋を何者かに窃盗されました。

既に警察へ被害届を出しております。
先週に続き立て続けに窃盗被害が発生して居る事から、
共謀で諜報活動を行うグループのネットワークを組んだ
スパイグループ共謀犯である事が絞られてきました。

某中華料理店の経営者は中国人と言う事ですが
責任者との問合せ、コンタクトを取れない様に
所在地、連絡先を店員が明かさない姿勢を取り続けており、
店内食事中に起こった事件で弁償を求めておりますが
コンタクトに応じない姿勢を示しており、店内に
防犯カメラ(録画していない)などの防犯設備を
怠って居る事などの状況を追求していく進めです。

※当EURUサイトで販売する製品は当サイト以外での
生産販売(当サイトに外部リンクを貼って当サイトから
外部サイトへ移動できる用行っている販売の場合は例外)
は行っておりません。

反民主主義者のエリアでの日常記録(他者の敷地へゴミを投棄する人物など)

僕の生活廃棄物を他者の敷地へ投棄する人物や
地域住民として地域エリアの情報回覧が
遮断され続けている
現状を記録した画像です。

以下は2023年某月某日に以下人物が収集場外の
他者敷地内へ投棄する一連の挙動を記録した画像です。

第三者の他者敷地内に僕の家庭ゴミを上記人物が
無断投棄した記録画像です。

以下は数年間僕の氏名が非表示で
地域住民としてのエリア情報が遮断されている
現状の画像です。


美しい人(美しい女性)について

美しい女性にはいくつかの特徴があります。
思いつく事を少し挙げてみました。

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1:自らの工夫と知恵から富を生み出す術を実行している。

2:生活、身の回りの大抵の事を自分で処理している。

3:一人の時間を大切にしている。一人で愉しむ術を知っている。

4:近しい友人、他者へ施す喜びを知っている。

5:精神的、経済的に自立している。
 (自立向上の精神を実行している)

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毎年訪れる自然災害


死者52人 熊本また激しい雨 九州から関東 8日にかけ警戒

人は自然災害に対して無力なんだろうか?

国では自然災害に対して回避策を講じる事は
出来ないのだろうか?

毎年毎年同じ現象が起こる事を
容易に予測出来るのに対策を施す
心が無いのだろうか?

国がダラダラしてる間に、失われずに済んだはずの
国民の命が今年も犠牲になっている。

取り敢えず欠陥だらけの建築法を改定して
講じる案を持っている人間が実行できる様、
法整備とクリエイターの邪魔をしない環境を
整えて頂きたいです。

 


大分でも記録的大雨 全域に警報 被害全容つかめず(20/07/07)


九州各地で川が増水 記録的大雨被害で懸命の復旧(20/07/06)

児童虐待問題について

先日、買い物の移動中に歩道から子どもの
激しい泣き声が聞こえてきた。

泣き声の聞える方向を頼りに近づいて行くと
マンションのベランダから泣き声が聞えてきた。

よく見ると0歳~2歳くらいの赤ちゃんが
ベランダに一人出されていた。

ベランダの戸に向かって激しく泣いている事から
親が何らかの形で赤ちゃんをベランダへ
放置している様子が伺えた。

そのマンションの入り口は暗証ロック式の
入り口で部屋の階を訪ねる事もできない。

下から取り敢えず大声で
「大丈夫?!!」と声をかけると
戸が開き、母親らしき女性が赤ちゃんに
何か説教をしている様に話しかけていた。

赤ちゃんが何をしたのか?又、
子どもが居ない立場なので
本当の深い親心は分からないけれど

赤ちゃんを泣かし、説教したって何も伝わらないし、
そんなものは教育でも何でもないと思う。
「勘違い」による教育は時として、単なる親の
自己満足で終わり、怒りの発散として充足
されている事が多いのではないだろうか?

教育と称し、気づかない間に子どもを
虐待している親は結構居るのかもしれない。

こう言う場合、遭遇してしまった第三者は
どう行動を取れば良いのだろうか?

内海聡氏によると児童相談所は拉致の現場だと
話されています。(参考までに)
内海氏とは取材で一度面識があり、ご自身の
お子さんの教育環境も含め海外移住されたと
聞いております。

一昔だと即座に間に入って何らかの救済や措置を
取る事ができた事でも、現代はとても難しい。

ナイーブな問題となって社会の様々な事が絡み合い、
社会自体が病的にいびつに歪み、対処し辛い
社会構造として硬直化している様に感じています。

日本の病理はかつてのソビエト連邦の様に
崩壊するまで誰も気付けないのかもしれません。

気付いている一部の人々は
この病理に感染しないよう日本から出るか、
日本はもう一度ゼロからやり直すか、
真剣に考える時期に来ていると思います。

母親に26年間監禁された女性

Advertising tower and Producer

時代に応じて必要とされる人間は
変化するようです。

本来、人が生きる為に欠かせない「衣食住熱」
の生産能力を有する人間が最も重要です。
そして富の源泉です。

しかし現代は生産を有しない、
只々消耗と消費を繰り返すだけの者に
富が集中するという奇妙な現象が起こっています。

「広告塔」と「生産者」

「タダ飯」で消耗する「広告塔者」と
「タダ飯」で商品を広く頒布し
販促を促したい「生産者」

この両者の利益関係が成立する事で
本来なら単なる「穀潰し」である
害虫、寄生虫の存在者も
「広告塔者」として、その社会的地位を
獲得しています。

飢餓社会なら間違いなく有害な存在ですが、
飽食社会の中で「美味い物が何処にあるか」
を常探し求める現代だからこそ
生産能力の無い者でも「タダ飯消耗」で成立する

奇妙な現象だと思います。

只、残念ながら僕はこの様な人種に
何の興味も魅力も感じませんが。

No professional

僕は美食家ではないけど、気軽に外食できる
お店が無さ過ぎて探す手間がかかります。

と言うのも、「感動や驚き」を体験できる
美味しいお店が余りにも無さ過ぎて、と言うか
ド素人当然の不味い店が余りにも多すぎるので
結局家で自分で作って食する結果に辿り着きます。

つまり不味いのに値が高すぎる店が多すぎるのです。
今の日本にはプロがいない。
(厳密にはプロが極少数派となり、探すのにとても苦労する)

ド素人当然の不味い店で微笑みながら
食してる方々は余程大らかで豊かな心の
持ち主なのかな?と自分もそう成れればと
反省する機会になっています。

これは全てにおいて通じる面があると思うのですが、
限られた時間の中で調理し、原材料の差益で利益を
出さなければならないので何処かを圧縮(人件費、材料)
すると当然品質クォリティーが落ちます。

それでも嘗ては自分の職にプライドを持った人が
居たので一定以下に成る事はなかったのだと思います。

会社にも「人材」という概念が無くなり、
人を育てる為のお金と時間を使わなくなった事が
原因かもしれません。

日本を取り巻く「社会の空気」が歪んでくると
「個人の人間の質」まで悪くなるのかもしれません。

音楽も新しい発見や驚きや感動の薄い
何処かで聞いた歌というか、コピーの様な模倣音楽が
溢れすぎて、ド素人のような摸倣家が主流になると
いよいよ日本の音楽業界も重症だと思うのです。

美味いにぎり飯は一粒の米粒が美味い。
握り飯は一粒の米粒の集合体である。

組織と個人の関係は握り飯と米粒の関係と同じである。

結局音楽は一個人の作曲家から生まれるので、
感動の薄い模倣音楽が多すぎるのは
今の日本の組織(レコード会社)、個人を
象徴しているように思います。