私は10代の頃、ピアノレッスンの学費を賄う為、
新聞配達を行いながら芸大に向けての音楽の勉強を
行っておりました。
毎朝早朝4時半起きに出勤し、週末のレッスンに向け
調整していました。
毎朝早朝の配達でたまに帰宅後寝落ちする事もあり、
その様な事が何度かあり、
ある日のレッスンに遅刻した日にM先生に激怒されました。
そのまま「やる気がなくなった」とM先生に告げられ
片道30分かけての通学を無駄にし、帰宅する事になりました。
この時強く思った事は
時間に追われた日常では疲労が蓄積し、
肉体的精神的不自由が生じます。
(つまり精神では何時出発と自覚しているのに
肉体疲労により延滞が生じる)
金銭的余裕が生まれれば時間の余裕も生まれます。
時間に余裕が生まれれば時間に追われた日常を送る事無く
時間に余裕を持って出発する事ができるのです。
その様な意味で「お金を稼ぐ」「資本を蓄積し時間の余裕を作る」
事がもっとも重要だと感じました。
私はこの頃から人を使う事で人件費がかかる演奏より、
或いは楽譜を読めない状態で曲を理解する為に
先生や録音演奏で確認し演奏練習するより
シーケンサーを活用し理解する方が能率が良いと考えました。
M先生に自宅でのピアノ練習法を確認された時に
シーケンサーでの曲確認を行って楽譜とピアノ練習に入る
事を話した所
「それはダメです。シーケンサーは使ってはいけない。」
と釘を刺され、非常に効率の悪い
練習を強いられる事になりました。
芸大受験やクラシック音楽に進むと言う事は今から思えば
非常に能率の悪い方法を強いられる世界なのだと感じます。
私は今も楽譜を見て演奏する事ができません。
つまりジャズのようにコードだけを記した
クラシック音楽のような厳密な楽譜のない
アドリブに委ねる音楽が自然に身体に合っていました。
しかしシーケンサーを使った作曲では
数十トラック使った演奏を相当緻密に
一人で行います。
この事を演奏家を雇って行うと
とてつもないお金と時間がかかります。
私は効率化を重視し、無駄を省く事で
自身の資本を守り、自身の時間の余裕を
生み出す事の重要性を強く実感しております。
M先生はご自身の信念の教え通り
時間と多くの演奏家を雇いお金をかけた
生演奏形体を維持され音楽をされている
事だと思いますが
私にはそれはできない。
この頃の私は数年間M先生の教えを守り、
私本来の気質から逆送したとても陰湿な
精神状態に陥った日々でした。
本来自由資本経済は得たいサービスに対し
対価を支払い、そのサービスに満足できれば
その事業は満足され繁栄するものです。
しかし私には満足できない結果に終わり、
つまり、音楽的知識の豊かさを育む場に
ならなかったと言う事です。
クラシック音楽は効率の悪い演奏方法を養成し
著作者不在のスコアを利用し、非効率な演奏形体を
優先し、(別にシーケンサーで演奏させても
良いのではと私は常々考えております)
人を従属させなければ成立し得れない
権力従属型の演奏形体で時間とお金を消耗
する思考にはとても賛同できず常に違和感を
感じていました。