自立と個人について independence and individual


アコースティック哲学:群れと超人間10」まとめ2個人

武田先生(笑) 言いたい事はよく分かるんだけど・・・。

つまり、出来るだけ自立できた方が
良いのではないですか?
と問うているだけなのです。

個人主義という言葉をマイナスに
解釈されている様ですが、他者への感謝や
先人の知恵の集積によって今日の文明がある事は
忘れてはならない事です。

その上で、できるだけ自分で出来る事は自分で
行うよう心掛け、自分で出来ない事は他者へ
協力をお願いし、出来ない事は出来る様
訓練し克服すると言う姿勢は自立への
一歩だと思うのです。

自転車に乗れない子供が最初は親のサポートの元で
練習し、やがて自立して運転できるようになります。
その様なプロセスは不必要でしょうか?

モノ作りも最初は子供の頃は学ぶ為に
摸倣から始まるかもしれません。
しかし年老いた老人になって何時までも
オリジナリティー、独創性の無い
他者のモノマネでは単なる盗みであり、
知恵を絞って良い物を作ってる人への妨害行為です。
海賊版やフェイク品がその良い例です。

個人は過渡期を歩んでは居ますが、
完全な存在に成る事は可能だと思っています。

例えば、海の孤島の無人島で一人で生きる為に
衣食住熱(エネルギー)の確保が必要です。

無人島には天然資源が豊富ですが鉱石、金属の分別や
精製も一から行う必要があります。

しかし人類が既に築いた道具を使えば、
或いは道具を製造、メンテナンスする技術があれば
一人でも衣食住熱を確保する事ができます。

ここで言う個人の存在とは、人間一個体だけの
存在を指してるのでは無く、人は道具と共に
文明を発展させ富を築いてきました。

山の鉱山を砕くのに人力で何百の人が必要でしょうか?
何百の人で足るのでしょうか?

ダイナマイトや水爆を製造できる個人が
何百の人の時間と手間を必要とするでしょうか?

No professional 02

過労死やパワハラ等の劣悪な労働環境で
精神を病んで命を絶つ若者を報道で聞く事がある。

個人と会社の違いは会社は個人を一時的に
内包している器に過ぎない点です。
つまり個人と会社は一心同体の運命共同体では無く
会社は有限責任で倒産しても個人は守られる仕組み
になっています。

組織体である企業は会社法によって用意された法人の器に
労働者を雇用時間内の範囲で一時的に内包している。
しかし雇用時間外のプライベートな時間まで
脅かされ侵害される状況に置かれる様な事があるなら
その会社は腐りきった企業で間違いない。

不味いにぎり飯は腐り始めの予兆であり、危機感を持ち、
正常な米粒である労働者は、何時でも辞職できる
準備を整えておく事が必要だと考えます。

不味い企業には不味い個人、つまり握り飯で言う所の
腐敗した米粒が幾つも存在し、全うな米粒に伝染
し始めていきます。

長時間労働、残業未払い、
有給を取らせない、パワハラが常習化している。

プロとして安定した品質とサービスを提供する為には
働きやすい労働環境、人材へのサポート、
ケアが不可欠です。これは経営者の義務です。

これらの労働基準法に違反し違法の中で
人材の精神と肉体を酷使消耗させ、業務を
常習化している犯罪企業との関わり、入社を未然に
防ぐ為にも、
企業評価をハローワーク等で
示すべきだと思います。

そして全うで健全な労働者は自身が黄金の
存在である事に目覚めれば大きな富が
目覚めると思います。

美味い握り飯は、美味い一粒の米粒から生まれている。
何故なら、米粒は種なので一粒の発芽から
万、億、兆を生むからである。
一番重要なのは美味い一粒の米粒である。

アーティストがレコード会社に入って
活動する時代は既に終わっていると思います。

No professional

僕は美食家ではないけど、気軽に外食できる
お店が無さ過ぎて探す手間がかかります。

と言うのも、「感動や驚き」を体験できる
美味しいお店が余りにも無さ過ぎて、と言うか
ド素人当然の不味い店が余りにも多すぎるので
結局家で自分で作って食する結果に辿り着きます。

つまり不味いのに値が高すぎる店が多すぎるのです。
今の日本にはプロがいない。
(厳密にはプロが極少数派となり、探すのにとても苦労する)

ド素人当然の不味い店で微笑みながら
食してる方々は余程大らかで豊かな心の
持ち主なのかな?と自分もそう成れればと
反省する機会になっています。

これは全てにおいて通じる面があると思うのですが、
限られた時間の中で調理し、原材料の差益で利益を
出さなければならないので何処かを圧縮(人件費、材料)
すると当然品質クォリティーが落ちます。

それでも嘗ては自分の職にプライドを持った人が
居たので一定以下に成る事はなかったのだと思います。

会社にも「人材」という概念が無くなり、
人を育てる為のお金と時間を使わなくなった事が
原因かもしれません。

日本を取り巻く「社会の空気」が歪んでくると
「個人の人間の質」まで悪くなるのかもしれません。

音楽も新しい発見や驚きや感動の薄い
何処かで聞いた歌というか、コピーの様な模倣音楽が
溢れすぎて、ド素人のような摸倣家が主流になると
いよいよ日本の音楽業界も重症だと思うのです。

美味いにぎり飯は一粒の米粒が美味い。
握り飯は一粒の米粒の集合体である。

組織と個人の関係は握り飯と米粒の関係と同じである。

結局音楽は一個人の作曲家から生まれるので、
感動の薄い模倣音楽が多すぎるのは
今の日本の組織(レコード会社)、個人を
象徴しているように思います。

最近は夜風がとても心地良い

最近は夜風がとても気持ち良くて
外が心地良い季節になってきました。

夕涼みに上野の音楽堂でライブを
体感してきました。

色んなアーティストが出演されて
楽しい一時が過ごせると思います。
しかも無料ということでありがたいです。

********************
みんなのレシピ2019
@上野恩賜公園水上音楽堂
5/18 11:30~19:20
********************

satisfied with my choice

いい歳になると何かと
「結婚されてますか?」と聞かれる。

離婚する事に対し、普通に
市民権を得た日本では僕のように
結婚歴もないし結婚する予定もないし、
子供もいないし、結婚という単語に全く
馴染めない立場として、少々窮屈なものを感じます。

結婚しないと管理職に付けないなんて話も
よく聞きますが、それはその程度の仕事であって
僕は富豪の独身を何人も知っていますし
関係ないと思います。

子供は可愛いけれど親になると、運命共同体として
一生子供の事を心配に気を留めながらの
心情はよく分かります。

物事には何にでもメリット、デメリットが
あると思います。

他者の人生を羨むのではなく、
自分の選択した人生として悔いなく生きる事が
大切なのではと思います。

Social and personal distortions

自己啓発の部類の話で
「ありがとうございます、感謝してます、」
を呪文のように唱える「教え」が流行っているようです。

たしかに
「ありがとうございます、感謝してます、
嬉しいです、楽しいです」
という言葉は素晴らしい言葉です。

しかし、自分の感情にをついて発する
言葉は様々なズレを生じさせます。

そのズレは個人のみならず、社会にもズレを
生じさせると思います。

リスクや危険を回避する為に人類は言葉や
伝達を発達させてきたとすれば、
危険や被害を受けた身でありながら
「ありがとうございます、感謝してます、嬉しいです」
と発する感覚のズレた人は本来いないはずです。

やたら無闇に盲目に感謝の言葉を発すれば
良いというものではない。

これは詐欺や人を騙しをする人間にとって
都合の良い「不正が表に漏れない口封じの教え」
となっているのです。

不利益を受けてもなお、偽りで
「ありがとうございます、感謝してます、
嬉しいです、楽しいです」
と発する人が居たとするなら、詐欺師にとって
こんなに都合の良いコントロールしやすい
人間は居ないと思います。

これは理性で律して発せられる言葉ではなく、
単に盲目的に従順な木偶坊です。

神経の機能障害や身体障害で麻痺していない限り、
健全な精神と身体であれば
悲しい時は悲しい、
嬉しい時は嬉しい、
許容を超えた時は怒る、と表明するのが自然です。

これは人間としての原点だと思います。
この原点が麻痺してくると益々社会は
歪んでくると思います。