Copy & Paste culture〓Imitation culture

漫画家を目指していた小学生の頃、江川達也さんの小学生の頃の
作品を見て小学生の作品とは思えない余りの絵のクォリティー
の高さに衝撃と焦りを感じた事を昨日の様に思い出します。

その事が原因で僕は焦りの中、学校でも家でも四六時中漫画を
描く事になりました。ある意味で江川さんは僕にとって師匠でしたが、
今はこれほど物の考え方まで似てしまうのかと言う程お話に
共鳴してしまいます。

僕も漫画家はストーリーも絵も全部漫画家が一人で描いてると
思っていました。成熟すると形式化され、スタッフを使った
分業制の中で漫画は描かれるようになると
「漫画や漫画家の概念」が年齢層によって随分な相違差
となってクリエイターの姿勢、作品の持つ力として浮き彫り
になるように思います。

僕にとってのメディアアートとは「漫画家業の発展形」の
ような意志があります。アプリを使う事で分業体制のような
事を一人でできてしまうのが現状だと思います。

日本の歴史や教育にまで及ぶお話で模倣文化は
「受験勉強の犠牲者」と話されていますが、それは
もっと遥か昔から日本人のDNAに組み込まれてる
ここ200年、300年の話じゃないのかもしれません。
それは日本教で話されているサガに通じるように思えます。

江川さんのお話はとても端的に日本という性質を示されて
いるように思います。

Financial fraud goods

副島さんによると金融商品はすべて詐欺だと話されています。
大変興味深い内容です。以下著書から抜粋。

「お金で騙される人、騙されない人」副島隆彦著
33頁から抜粋

●公的年金も、国家によるひどすぎる詐欺

実情としては、厚生年金を満額できちんと貰える人達でさえ、
どんどん減りつつあります。勤続25年の人達であれば、
ひと月に18万くらいしかもらえなくなっているはずです(65歳時点で)。
そして数年前に日本政府(厚生労働省)は「国民基礎年金」という考え
方を導入して、2006年頃から国民年金とのベースを一緒にする「一元
化」の制度に変えてしまったのです。それを別名で「セーフティーネット
(安全網)」等と呼んでいます。
「セーフティーネット」と言うとまるで日本国民を政府が責任を持って
老後を保障するような事ばかり言います。しかし真実は、
「払えないものは払えない」です。

公的年金の積立金の残高は、恐ろしい勢いで減っているようです。
その真実の数字は、中々世の中に公表されず、国民には
知らされていません。どうやらアメリカで運用して相当の
失敗が出ているようです。その正確な内容は私にも分かりません。
が、しかしそのうちバレるでしょう。

国民年金は、70歳の老人夫婦2人で14万ぐらいもらえるようにと、
国(厚生労働省)としては考えているようです。これが「基礎年金」
という考え方で、日本国民の最低限度の暮らしの保証であると、
年金制度の担当の役人達は考えているのでしょう。
実は、夫婦で月14万円というのは、本当の貧困者達のための
生活保護費よりも安いのです。

もともと公的年金制度は、貧困者を助ける為の制度ではありません。
みんなで掛け金を集めて運用して、それで十分に老後の年金生活が
出来るようにと言うプランで出来ていた制度です。
この考えの原型にあるのは、「トンツィーン債」という考えです。
トンツィーン債(Tontine)というのは、壺の中にみんなでお金を入れて、
そのお金全部は無くならないようにしながら、くじに当たった人が、
一定額を受け取って商売で使っていいという考え方から生まれた
ものです。
日本にも「無尽(講)」と言うのがありました。みんなで資金(掛け金)を
出し合って、必要とする人が使って、儲けが出たら利子と共に返済する
仕組みです。この無尽はのちに相互銀行(さらに第二地銀になった)
になりました。

ところが、現在の公的年金制度は、もはや
積立金そのものを食いつぶしているのが現状です。
これが「世代間戦争」と呼ばれるものです。すなわち、
若い30代、40代の人達が積み立てているお金を、今の
70歳から上の老人達が年金として払ってもらって使っている
のが
実情です。
だからそろそろ、余裕のある年金受給者達に、
自ら進んで年金を放棄させるという動きさえ出ています。
これが日本の公的年金の恐ろしい実情です。

「お金で騙される人、騙されない人」副島隆彦著/2010年4月発行

33頁から抜粋

About Buddha


宮崎 哲弥・呉 智英   「つぎはぎ仏教入門」

釈迦について、ネパール仏教、初期仏教の
真相考察に迫る興味深いお話をされています。

日本人の日本人による日本人の為に都合良く
日本教風(山本七平氏が指す意味での)に
アレンジ、改編され、祭り上げられたフェイク仏教
との比較考察として大変興味深いです。

Fascination&Matching

子供の頃、あれだけ毎日読み漁っていた漫画、
あれだけ聴き漁っていた音楽、あれだけ何時間も見入っていたテレビを
観なくなったし、聴かなくなった自分に不意に気付く瞬間があります。

バラエティーも「コント55号」や「ドリフターズ」位までは面白かったし
よく観たものです。最近のバラエティーは暴言や相手に暴力を
加える事が笑いを取る手段になってたりして、もはやバラエティーや
ユーモアーとは言えるものでなく、そういうものが王道になり、
番組が構成され始めると、TVに対して魅力を感じなくなり、
観なくなっていった原因になったのだと思います。

よく考えてみれば芸能や文化と言うものの発信源は
「人」であり、魅力のない人間が増えれば増えるほど
魅力のない人間を抱え込んでいる組織から生まれる
芸能、文化も衰退するのは自然な事かもしれません。

60、70年代の漫画黎明期、ロックミュージックは
「不良の読み物、不良の音楽」と言われている中で作家達は
社会の冷たい劣悪な環境で反骨精神と反権力の精神で
制作に取り組んでいたのだと思います。手塚治虫さんは
「漫画はハングリーアート」だと言われていました。
手塚さんのような立場の方でも当時は「漫画は不良の読み物」
として社会から非難されていた事に心が痛みます。

現在、漫画もロックも社会的な市民権を得て大学では
「漫画学科」なる学科まで登場し、もはや漫画は
不良の読み物どころか権力側に取り込まれてしまっています。
恐らくその頃から漫画の力は激減し、もはやかつての
漫画の魅力はなくなり、権力に服従し骨抜きにされた
漫画に魅力を感じなくなったのだと思います。
それは音楽も同じことが言えると思います。

ロックや漫画の真髄は反権力です。
僕が魅力的に感じるものは「個人」の立場や意識、感性を
維持し続けている人から出てくるものには活力もあり、
魅力を感じる事が多いです。ですから最近は鑑賞する
対象は特にYouTubeでの個人配信動画や
個人ブログが多い事に気付きます。

その様な事を日々強く感じている中から
僕自身個人で制作する姿勢に拍車がかかり
「個人で制作、配信するコンテンツ」に意識が
高まって来たのだと思います。

恐らく探せば魅力的な漫画、音楽は必ずあると思います。
用は価値の細分化で探すのが難しくなって「マッチングの
ズレ」がすべての原因です。

人間関係でも言える事は
両者共に好きな人が結婚すれば離婚する事はない訳で、
嫌いな者同士が経済的な理由で結婚したり、
片方は好きだが片方は嫌がってる片思いの様な関係でも
上手く行かないと思います。

政治も文化も生活も人間関係も世の全ては
出会うべき人、出会うべき物とのマッチングがスムーズに円滑
に進む事であらゆる問題が解決し人は快適に生活を
営む事ができると思います。